2002年12月13日(金)

サンタ・ルチア

今朝、職場で仕事をしていると、いきなり廊下から数人の歌声が聞こえてきた。朝8時37分のことである。

なんだろうと思って廊下に出てみると、数名の人が白衣を着て、歌を歌いながらこちらに近づいて来るではないか。歌は「サンタ・ルチア」であった。あっけに取られていると、その中の一人からPepperkake(クッキーのようなもの)を手渡された。DDと同じように、オフィスから何事かと顔を覗かせる人がいっぱいいる。


なんとか後ろ姿だけでも写真に撮ることができた。動画はここをクリック(約2.0MB)。

先頭の人は、我が職場の長であった。おまけに頭に何本ものろうそくを立てている。八墓村?(笑)。


一方、子供が通っている小学校でも同じようなことがあったらしい。7年生が白い衣装を着て、歌を歌いながら下級生のクラスを回ってきたらしい。

今日は、夕方から子供の友達(セバスチャン)の誕生会に呼ばれていたので、子供だけその家に送っていった。誕生会が終わった頃(19時30分)に、子供を迎えに行くと、10歳ぐらいの3人の女の子が同じように白い衣装を着て、頭に冠を付けて歩いていた。

なお、「サンタ・ルチア」とは、ナポリの船乗り達の守護聖女のことであり、ナポリ湾南西の地区の名前にもなっている。それと、これがどんな関係にあるかについては、わかり次第、追記する。


2002年12月16日 追記

「サンタ・ルチア」祭は、毎年12月13日にスウェーデンで行われてきた行事らしい。この日は旧暦(16世紀以前に使われていた歴)で冬至にあたる。スウェーデンでは「ルチア」ではなく「ルシア」と言うようだ。ルチアに関する伝説は以下のようなものである。

ルチアは3世紀のイタリアに実在した人物であり、裕福な家系に育った。彼女が結婚するときに、彼女が持っていった持参金を貧しい人達に与えてしまった。それに怒った婚約者が、当時まだ認められていなかったキリスト教の信者であるとして、ルチアを訴えた。ルチアは捕まり火あぶりの刑になるが、一向に火がつかず、ついには打ち首の刑になった。

ルチアは貧しい人達の暮らしに一筋の光を与えたとして、「光の聖女」、「農耕の守護神」、「船乗りの守護聖女」等の異名を持つ。

この日にどんなことをするかについては、色々とあるようだ。

(1)この日の朝、女の子がいる家庭では、白い服を着て、頭に蝋燭の冠を乗せた娘(一番年下?)が、父親(両親?)にコーヒーとサフラン&ジンジャー入りクッキーを持って行き、枕元で「サンタルチア」の歌を歌う。父親はルシアのように光に包まれた娘に起こして貰える至福の時を過ごす。
  →昔はやっていたようだが、今はやってない。

(2)ルシア役の娘は キャンドルの冠をかぶり、白いドレスに赤い帯をしめた娘たちの一団は サンタ・ルシアの歌を歌いながら近所の家々をたずね、 明るいキャンドルの光を運ぶ。DDが夜に見たのはこれだったのだろう。

(3)この日に食べるのは、Pepperkakeというジンジャー入りのビスケットと、Lussekattというサフラン入りのパンのようである。

(4)白い衣装とキャンドルを立てたカウベリーの枝の冠を装った光の象徴ルシア姫(女の子)が、「サンタルチア」の歌を歌いながら、コーヒーとサフラン &ジンジャー入りクッキーをサービスして歩く。
DDが職場で見たものはこれだったようだ。キャンドルの冠をかぶるのは女の子のはずだが・・・?? おいっ! オッサンがかぶってどうする!→我が職場の長

なお、イタリアの伝説がどのようにしてスカンジナビアに伝わったかについては、確かな情報は掴めなかったが、太陽の誕生祭であるキリスト教のクリスマスとともに18世紀頃伝わったのではないかと言われている。



<<前の日記へ   次の日記へ>>

ご質問はddkunnejpgmail.comまで。

一覧へもどる