2002年7月23日(火)〜26日(金)

4日目 ストックホルム → ハルデン

4日目は、フェリーで再び戻ってきたストックホルムを午前中に観光してから、ハルデンに帰ることにする。


しかし、フェリーを降りると外は雨。これでは歩いて観光できない。悔しいので少しだけ市内を車で回ってみることにする。


王宮。現在も王がここで執務を行っている。イタリア・バロック、フランス・ロココ様式の建物だ。ちなみに、王室自体は郊外のドロットニングホルム宮殿にある。


ここは、オペラ座。バロック様式の建築であるが、現在補修中のようだ。

ラッキーなことに市内を走っているうちに雨が止んだ。やはり日頃のおこないがいいためであろうか。

ストックホルムには、ガムラ・スタンと呼ばれる旧市街がある。ここには、様々な古い建物が残っており見るべきところも多い。先ほどの王宮もここにある。


ガムラ・スタンの街並み。こんな細い路地がある。


カフェがあったので、朝食を食べることにした。


う〜ん。何にしようか。


パンにエビ&マヨネーズやサラダ&マヨネーズを挟んだものを注文した。


おなかが一杯になってご満悦である。そろそろ、本格的に観光しよう。


と思っていたら、パトカーがサイレンを鳴らして走ってきた。朝から何事だろうか。


なんか上半身裸の男が取り押さえられている。おいおい。ここは物騒な場所である。


ここは、貴族の館。17世紀後半に建てられたオランダ・バロック形式の建物で、貴族達の議会兼社交クラブである。


尖った建物はリッダーホルム教会。1270年に建てられたフランシスコ会修道院を教会に改築したものである。17世紀北方戦争で西ロシアを占領したカール12世もここに眠っている。現在の建物は、1846年に再建されたものだ。ちなみに、この建物はゴシック様式だ。


奥に見える建物は大聖堂である。13世紀に建てられたもので、当時はゴシック様式だったが、王宮の建築様式にあわせてイタリア・バロック様式に改築された。


尖っているのはドイツ教会。17世紀にハンザ同盟の商人たちがお金を出し合って建てたものである。


ガムラ・スタンには、細い路地にこんなお店が並んでいる。


路地の向こうに大聖堂が見える。


ここは王宮。いつも近衛兵がガードしている。


しっかりとガードしているようだ。持っているのは銃剣である。


お願いして一緒に写真を撮ってもらうことにした。喜ぶ子供達。


近衛兵の交代の時間がやってきた。近衛交代は、昼の12時過ぎのものが一番派手であるが、朝10時にも交代がある。


普通に交代すればいいのに、色々もったいをつけている。ただ近衛兵が入れ替わるのに10分以上かかっている。昼12時過ぎの交代には45分もかかるらしい。何やってんだか・・・。


王宮の横ではご老人方がゲートボールのようなゲームをしていた。テニスボールぐらいある金属のボールを砂のグラウンドに手で投げている。なんというゲームだろうか。



至る所にバロック様式やゴシック様式の建物があり、きちんと保存されている。


近代的なビルは一つもない。

ストックホルムは北欧のベニスとも言われており、13世紀からの古い街並みをもとに都市計画の専門家が何世紀もかけて着々と造り上げてきた街である。機会があれば是非訪れて欲しい。人口170万人以上を有する大都市とは思えない美しい街である。

そろそろ、正午になってきたのでストックホルムを後にして、ハルデンへ帰る。


帰りは、またこの田舎道を爆走する。空がきれいだ。しかし、退屈だ。


爆走中のDD。もちろん、左ハンドルである。


我が家へ帰ってきた。お疲れさま。

本日の走行距離は、589km。

番外編」に続く。



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